周期表とその歴史

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周期表の歴史:発見と理論が表を育てた

周期表は単なる「元素の一覧表」ではなく、元素の性質が周期的に変化する理由を映し出す科学の地図である。 その形は、元素の発見と原子構造の理解が進むたびに更新されてきた。

1. 元素整理の試み(18〜19世紀前半)

18世紀末から19世紀にかけて化学が急速に発展し、新しい元素が次々と発見された。 同時に「性質の似た元素群」があることも判明したが、当時は原子の内部構造が未知であったため、並べる基準は主に原子量性質の類似性であった。

この時代には、ドベライナーのトリアド(三つ組元素)のように、性質の似た元素をグループ化する試みが現れ、周期表への道が開かれていった。

2. メンデレーエフの周期表(1869年)

1869年、ロシアの化学者メンデレーエフは、元素を原子量順に並べると性質が周期的に現れることを示し、周期表を提案した。 最大の功績は、既知の元素を無理に詰め込むのではなく、あえて空欄を残して未発見元素の存在を予言した点にある。

彼は未発見元素を「エカアルミニウム(のちのガリウム)」や「エカケイ素(のちのゲルマニウム)」と呼び、その性質を具体的に予測した。 後に発見された元素がその予言と驚くほど一致したことが、周期表の信頼性を決定づけたのである。

3. 原子番号による確立(1913年)

原子量順の並びには、一部の元素で性質が逆転する矛盾が残っていた。

例えば、アルゴン(Ar:原子量39.9)とカリウム(K:原子量39.1)などは、原子量順に並べると貴ガスとアルカリ金属の性質が逆転してしまう。

1913年、英の物理学者モーズリーはX線スペクトルの研究により、元素の本質は原子量ではなく、原子核の正電荷の数、すなわち原子番号(陽子数)であることを突き止めた。 これにより周期表の矛盾は解消され、現代の周期表の基礎が確立された。

4. 量子力学と電子配置(20世紀)

20世紀に量子力学が整備されると、周期性の正体が解明された。 周期(横の行)は電子殻の数(主量子数 nnの増加を、族(縦の列)は最外殻電子(価電子)の配置の共通性に対応している。

周期表は「電子配置を一望する地図」へと進化した。 この理解に基づけば、原子半径、イオン化エネルギー、電気陰性度といった周期的な傾向も、暗記ではなく理論として説明が可能になる。


ニホニウム(Nh):周期表は今も更新されている

1. 「日本が名付けた元素」という歴史的意義

ニホニウム(Nihonium, Nh)は原子番号113の超重元素である。 アジアで初めて発見が認められ、命名された元素として大きな意味を持つ。 2015年12月31日、IUPAC(国際純正・応用化学連合)により公式に認定された。

2. 人工合成への挑戦

ニホニウムは自然界には存在しない。理化学研究所(RIKEN)のグループは、加速器を用いて亜鉛 Zn の原子核をビスマス Bi に高速で衝突・融合させることで、この新元素を合成した。

3. 長期にわたる証拠の積み上げ

超重元素の生成確率は極めて低く、一度の成功では認められない。 RIKENは2004年、2005年、2012年と計3回の合成に成功した。 生成されたニホニウムがα\alpha崩壊を繰り返し、既知の原子核へ変化していく過程(崩壊系列)を詳細に観測することで、113番元素である確固たる証拠を積み上げたのである。

4. 未来へ続く地図

「Nihonium」の名は「日本(Nihon)」に由来し、元素記号はNhである。 周期表は完成された静的な表ではない。現在も119番以降の新元素の探索が続いており、この「科学の地図」は今も広がり続けている。

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