2004年、慶應SFCの両学部でいわゆる論理パズルが出題された。大学入試数学での出題は稀である。
論理パズルは数学パズルの一種で、論理的に矛盾のない唯一のパターンを見つけ出すというものである。
SFCとは湘南藤沢キャンパス(Shonan Fujisawa Campus)の略称であり、「慶應SFC」はここで4年間学ぶ総合政策学部と環境情報学部のことを指すことが多い。
両学部はキャンパスと共に1990年に創設された。2つの学部にはほとんど違いはなく、どちらも文系・理系という枠組みに捕らわれず、自由度が高く自主性を重んじたカリキュラムで学ぶことができる。その点、ほぼ学習内容が確定している他の学部とは一線を画す。
慶應SFCは、総合型選抜(旧AO入試)での合格者が多く、一般入試でも「数学+小論文」または「英語+小論文」のみで受験できるため、ネットでは「慶應の最底辺」「芸能人とアスリートのための学部」などと散々な言われ様であるが、就職に強く、卒業者には起業家も多い。なお、AO入試を初めて導入したのは慶應SFCである(1990年)。
2013年に書籍化、2015年に映画化され大ヒットした「ビリギャル」は、慶應SFCへの合格(実話)を元にしている。
「底辺高校の非行少女が短期間で奇跡的に慶應大学に逆転合格した」とも受け取れるタイトルであったが、実態は異なっていたため、ネット上では批判的な意見も少なくない。
実態は書籍中で詳しく述べられているので別に隠しているわけではないが、タイトルが言葉足らずなのも事実である。不足部分を補うと、「(中学受験を突破して入学した名門進学校で)学年ビリの(見た目は)ギャル(だが実は割と真面目な女の子)が(多くの高校生よりも早い2年生のうちから週3週4で塾通いして)1年(半)で(英語の)偏差値を40上げて慶應大学(経済学部・商学部・文学部は不合格だったものの総合政策学部)に(すべて選択問題の英語と小論文だけで)現役合格した話」となる。
こんなことを書いていると書籍を批判しているのかと思われそうだが(笑)、全くそんなつもりはなく、受け取り方を間違えなければ非常によい書籍である。
多少の誇張はあるのかもしれないが、かなりの低偏差値から相応の努力をして倍率5~10倍の慶應SFC合格を勝ち取ったことにほぼ疑いようはなく、どのような経緯や戦略でそれを成し遂げたのかが詳細に述べられている、そういう書籍なのである。受かるべくして受かっており、その戦略や著者の坪田氏の心理学に基づく指導テクニックなど、受験生や教師が参考にできることも多く記載されている。
低偏差値からの難関国立大学5教科一般入試合格体験記ということならば、以下の記事をどうぞ。
長々と述べたが、簡単に言えば慶應SFCはかなり特殊な学部であるということである。
そのため、一般入試の数学では他学部ではほとんど見られないようなユニークな問題が度々出題されている。
論理パズルの誕生
慶應義塾大学の問題を紹介する前に、論理パズルの起源について話しておこう。
論理パズルの起源は、紀元前6世紀頃の哲学者エピメニデスのパラドックスにまで遡ることができる。
クレタ人のエピメニデスが言った。
「クレタ人はみな嘘つきだ。」
嘘つきのパラドックス(自己言及のパラドックス)としてあまりにも有名なこの一節、実はパラドックスではないということもまた有名である。
よくある解釈は、「クレタ人のエピメニデスが真実を述べているとすると『クレタ人がみな嘘つき』という発言と矛盾し、クレタ人のエピメニデスが嘘をついたとすると『クレタ人はみな正直者』となるからやはり矛盾する。これはパラドックスだ。」とするものであるが、この解釈にはそもそも誤りがある。
「クレタ人はみな嘘つきだ」の否定は、「クレタ人はみな正直者」ではなく、「クレタ人の中には正直者が少なくとも1人いる」だからである(高校数学Ⅰ)。
エピメニデスが「クレタ人の中には正直者が少なくとも1人いる(要するに正直者も嘘つきも両方いる)」という事実に対し、「クレタ人はみな嘘つきだ。」と嘘をついただけと解釈することができ、この場合には論理的な矛盾が生じないわけである。
このエピメニデスのパラドックスであるが、実はエピメニデスに特別な意図はなく、単に「クレタ人はみな嘘つきだ。」と発言しただけであったが、エピメニデスがクレタ人であったことから、いつからかパラドックスが指摘され始めたようである。
紀元前4世紀、古代ギリシャの哲学者エウブリデスは、意図的に以下のパラドックスを考案した。
「私が今言っていることは嘘」
この発言は真実?それとも嘘?
この発言が真実とすると、「嘘を言っている」という発言自体と矛盾する。
この発言が嘘とすると、「今言っていることは真実」となり矛盾する。
これが、厳密な意味での嘘つきのパラドックスであり、より一般には自己言及と共に真偽を反転させた「この文は偽である」という構造の文を作成するとパラドックスが生じる。
以上のようなパラドックスから始まった論理パズルは、19世紀頃までは研究目的が主であった。20世紀になってようやく、一般の人向けの論理パズルが多く作成されるようになった。
2004年慶應SFCの問題
2004年総合政策学部の問題
(1)はかなり判断しづらい。(2)は小学生でもわかる。
(1)の解答
何となくで正解できるかもしれないが、確信を持って正解するためには高校数学で明確に学習しない以下の真理表の知識が必要になる。
p | q | p ⇒ q |
真 | 真 | 真 |
真 | 偽 | 偽 |
偽 | 真 | 真 |
偽 | 偽 | 真 |
上2つは問題ないと思うが、注意すべきは下2つの「仮定pが偽の場合、命題 p ⇒ q が真になる」という事実である。
多くの人は奇異に感じるはずで、これは普段の会話の「ならば」と数学の「ならば」で意味合いが異なることに起因する。
例えば、親が「合格したならば100万円あげる」と『約束』してくれたとしよう。
これが普段の会話だったとすると、「不合格だったならば100万円あげない」という意味合いを含んでいると受け取るだろう。しかし、数学的にはそのような意味合いは含んでいない。
つまり、数学的には、親はあくまでも合格したときの約束をしただけで、不合格のときの約束は何もしていない。よって、不合格の場合に約束違反となることは絶対にない。そもそも約束していないのだから。
p | q | p ⇒ q |
合格 | 100万円○ | 無違反 |
合格 | 100万円× | 約束違反 |
不合格 | 100万円○ | 無違反 |
不合格 | 100万円× | 無違反 |
以上のような論理に従うと、(1)を以下のように判断できる。
Aが悪魔ならば、「わたしが天使ならば」という仮定が偽なので「わたしが天使ならば, Bも天使です」というAの発言は真実となり、悪魔がつねに嘘をつくことと矛盾する。
よって、Aは天使であり、そのAの発言からBも天使となる。
2人の正体は「1. A, Bともに天使」 である。
(2)の解答
(2)は簡単である。
アテナがもっとも美しい女神であるとき、アテナとアフロディテの2人が真実を述べていることになるから不適切である。
アフロディテがもっとも美しい女神であるとき、アフロディテだけが真実を述べていることになるから適切である。
ヘラがもっとも美しい女神であるとき、アテナとヘラの2人が真実を述べていることになるから不適切である。
よって、もっとも美しい女神は「2.アフロディテ」 である。
2004年環境情報学部
(1)、(2)ともに小学生でもわかる。
(1)の解答
NがAに座っているとすると、「Bに座っている人はN」という発言と矛盾する。
NがBに座っているとすると、「Cに座っている人はN」という発言と矛盾する。
よって、Cに座っているのがNであり、その発言からAに座っている人がMであるとわかる。
したがって、A, B, Cに座っている人の名前は「4. M, T, N」 である。
(2)の解答
1番が正直者とすると、2番の人と3番の人が嘘つきとなる。
1番の人が嘘つきとすると、その発言から2番が正直者となるから、3番の人は嘘つきである。
よって、どちらにせよ3番の人が嘘つきである。
2005年慶應SFCの問題
2004年に続き、2005年にも論理の問題が出題されていたので紹介する。
2004年は小学生でもわかるような問題が多かったが、2005年の問題は非常に難しい。
2択なので、変に考えるよりも適当に答えた方が当たるかも(笑)。
以下、「p ⇒ q」は「pであるとき常にq」を意味することに注意してほしい。集合の包含関係で言い換えると「P⊂Q」である。
2005年総合政策学部の問題
(i)の解答
(i)はまだ簡単なほうである。
④は、「K君 ⇒ ワニを操ることができない」であるから、K君から始めてワニを操ることができないを導けるかどうかを考える。
まず、①より、「K君 ⇒ 非論理的」である。
次に、③より、「非論理的 ⇒ 軽んじられる」である。
最後に、②の対偶により、「軽んじられる ⇒ ワニを操ることはできない」である。
以上から、「K君 ⇒ ワニを操ることはできない」が導かれるから、答えは「1」である。
(ii)の解答
子供を全体集合とする。
①より、「12歳未満 ⇒ 寮生」である。
②より、「勤勉 ⇒ 赤毛」である。
③の対偶より、「ギリシャ語を履修 ⇒ 寮生」である。
④の対偶より、「勤勉 ⇒ 12歳未満」である。
⑤の対偶は、「ギリシャ語を履修 ⇒ 赤毛」である。
①~④から「ギリシャ語を履修 ⇒ 赤毛」を導くことはできないから、答えは「0」である。
2005年環境情報学部の問題
こちらの2問はさらにややこしい。
(i)の解答
わたしの持ち物を全体集合とする。
①より、「陶器 ⇒ 人形」である。
②より、「プレゼント ⇒ 役立つ」である。
③より、「人形 ⇒ 役立たない」である。
④は、「プレゼント ⇒ 陶器」である。
①~③から「プレゼント ⇒ 陶器」を導くことはできないから、答えは「0」である。
(ii)の解答
わたしの芋を全体集合とする。
①より、「ゆがいてある ⇒ 新しい」である。
②より、「皿Aの芋 ⇒ 食べられる」である。
③の対偶より、「食べられる ⇒ ゆがいてある」である。
④は、「皿Aの芋 ⇒ 古い」である。
①~③からは「皿Aの芋 ⇒ 新しい」は導けるが、「皿Aの芋 ⇒ 古い」を導くことはできないから、答えは「0」である。