子供4人東大理Ⅲ合格佐藤亮子ママの教育をマクロな視点からも見る!

スポンサーリンク

この記事では、家庭や個人レベルのミクロな視点からの話をした。ミクロな視点では極端にも思える教育法について賛否両論あったわけだが、マクロな視点からも考えるべきである。

バランスの重要性

「何事もバランスが大事」というと大抵の人は納得する。ただ、ここでいうバランスとは何のバランスだろうか。

おそらく、「個人のバランス」という意味でとらえているはずである。確かに、勉強、スポーツ、芸術、恋愛、何事もバランスよくこなす人間は素晴らしいと思える。

そんな人を見て、「自分は偏っている」と真剣に悩んでいる人もいるだろう。

しかし、バランスが良いことはそんなに重要なことなのだろうか。

実は、マクロな視点から見ると、バランスが悪いことこそがバランスを良いことであるということがわかる。これが矛盾でないことは以下の説明でわかってもらえるはずである。

国家・社会には偏った人間が必要

正確に言うと、「国家・社会規模でバランスを保つためには個人規模のバランスが偏っていなければならない」ということである。

これはやじろべえでたとえることができる。

中央のどんぐりだけでバランスをとるのは極めて難しい。多少でもゆらぎが生じるとすぐに破滅が訪れる。左と右に大きく偏ったどんぐりが存在し、それらが互いにバランスを取り合うことで、初めて全体として安定できるのである。

国家・社会でも同じである。平均的な人間、普通の人間ばかりいるような国家・社会は、全体としてみると極めてバランスが悪い。

想像してみてほしい。誰一人ずば抜けた人がおらず、全員が同じ方向を向いている。みんな適度に勉強できて、適度にスポーツもできて、適度に芸術もできて、適度に恋愛もする。こんな国家・社会が成立するはずはないし、仮に成立したとしても全く楽しくない。

何か1つに特化した人がいて初めて国家・社会が成立する。朝から晩まで勉強ばかりしている人、スポーツばかりしている人、芸術ばかりしている人、恋愛ばかりしている人、個人規模でみると異常かもしれないが、国家・社会には必要である。

なぜなら、必ず逆のベクトルで偏った人が存在するからである。全く勉強しないような人である。そんな人も含めて国家・社会全体としてバランスをとるには、他のことを全て犠牲にして朝から晩まで勉強している人が必要というわけである。

スポンサーリンク

特化型人間のメリット・デメリット

何事においても、国家や社会に大きな影響を与えるのは、特化型の人間である。

朝から晩まで勉強してきた人がノーベル賞を取り、朝から晩までスポーツしてきた人が金メダルを取ったりする。普通の人は良くも悪くも影響しない。早い話、「バランスが良い」と言えば聞こえは良いが、悪く言えば「どれも中途半端」ということなのである。中途半端にしかやってきていない人が、特化してきた人に勝てるはずはない。

特化型人間は、成功して大物になれる可能性を秘めているのである。一方で、失敗者は悲惨なことになりかねない。例えば、スポーツばかりしてきた人間が怪我でスポーツできなくなったりしたら、社会的にも精神的にも一気に追い込まれることになる。薬物やドーピングに手を出してしまったアスリートがいることも知られるところである。

頂点を目指し1つのことに特化するのか、何事も適度にこなして普通に学校を卒業して就職して結婚して子育てして生きていくのか、各個人の自由である。

1つだけ言っておきたいのは、普通の人ほど特化型人間に感謝すべきということである。普段便利な電化製品に囲まれて生活したりスポーツや芸術を楽しんだりできるのは、リスクを冒して1つのことに特化してきた人達が国家・社会全体のバランスをとってくれているおかげである。

スポンサーリンク

子供をどう育てるべきか

佐藤ママのように特化型人間を育てようとする親に対して、「子供が可哀想」「いろんなことをやらせてみなければ子供の適性がわからないではないか、進路を狭めている」と批判する人もいる。

しかし、人間は容量も時間も限られている。経済的な問題もある。先程述べたとおり、いろんなことをやっている内に特化型人間に勝てる見込みは少なくなっていく。子供が幼い頃から親が1つのことに特化させてきていなければ、特化型人間として成功するのは難しいのである。

また、進路を狭めると言うが、真に自分自身の意思で進路を決めている人が果たしてどれだけいるのだろうか。

本人が自分から「東大に行きます」「プロ野球選手になります」「ピアニストになります」といったところで、それは親が幼少期からそういう風に育ててきたから結局その方向に進もうという気になっただけであろう。

つまり、自分の意思で進路を決めたように思っていても、親の育て方によって作られた大まかな流れの中での少ない選択肢からその道を選ぶしかなかったというのが実際のところなのではないだろうか。

野球選手の親に幼い頃から野球を教えられてきて、高校生になって急に「ピアニストになります」などと言い出す人などまずいないはずである。

普通に大学に行って就職することを自分の意思で決めた人も、親が特化型にはならない育て方をしたから結局その道を行くしかなくなったわけである。自分の意思で決められるのは、せいぜいどこの会社に就職しようか、公務員になろうか程度のものである。

このように、「自分は多くの選択肢の中から自由に自分の意思で進路を決めた」と思っている人でも、客観的に見ると周囲の環境に事実上誘導されている。

以上を踏まえると、すべての親は、自信を持って自分が思うように自分の価値観に従って愛情を持って子育てすればよいといえる。結局何かあったときに責任を負うのは親であるのだから、何ら責任を伴わない他人にとやかく言われる筋合いはない。

そして、どのような育て方をされようとも、その子供が他の誰かと一緒になって全体のバランスをとる貴重な国家・社会の一員であることに変わりはない。