2017年3月10日、東京大学で合格発表が行われた。総合図書館工事のために廃止になって以来、実に4年ぶりの掲示板での発表であったが、その中に佐藤亮子ママと娘が抱き合って喜ぶ姿があった。
すでに3人の兄を東大理Ⅲに合格させ、佐藤ママの存在が広く知れ渡った中での受験となった娘は、いや~な期待やプレッシャーを少なからず感じていたことだろうが、見事東京大学それも理Ⅲに合格してみせたわけである。
今回、いい機会なので賛否ある佐藤ママの教育について個人的な意見を述べておくことにする。
とりあえず、いくつか前提の確認を行う。そこまで綿密に調査してないのでもし間違ってたらゴメン(;人;)
佐藤ママや家族の構成と略歴
佐藤亮子ママ 津田塾大卒 → 2年間英語教師 → 専業主婦
夫 東大文学部卒 → 弁護士
長男(1991年) 灘中高 → 現役時東大理Ⅰ後期合格するも一浪して東大理Ⅲ合格
次男(1993年) 灘中高 → 東大理Ⅲ現役合格
三男(1995年) 灘中高 → 東大理Ⅲ現役合格
長女(1998年) 洛南高 → 東大理Ⅲ現役合格
東大合格と東大理Ⅲ合格の違い
東京大学は6つの科類に分けて学生を募集する。2017年の結果は以下であった。
合格最低点 | 合格者最高点 | 募集人員 | |
---|---|---|---|
文科Ⅰ類 | 354.5778 | 454.6889 | 401 |
文科Ⅱ類 | 348.5222 | 455.2333 | 353 |
文科Ⅲ類 | 343.6111 | 464.1111 | 469 |
理科Ⅰ類 | 347.1889 | 479.7000 | 1108 |
理科Ⅱ類 | 335.3667 | 458.6444 | 532 |
理科Ⅲ類 | 407.7111 | 482.0889 | 97 |
この中で着目すべきは、理科Ⅲ類の合格最低点が群を抜いて高いことである。理科Ⅰ類と比べてもその差は60点である。
理類の場合、科目と点数配分が次である。
センター | 数学 | 英語 | 国語 | 理① | 理② | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|
110 | 120 | 120 | 80 | 60 | 60 | 550 |
理科Ⅲ類(医学部)に合格するには、1科目丸々白紙で提出しても他の科類に合格できるくらいの学力が要求されるわけである。
これは東大だけに限った話ではなく、どこの大学でも医学部は他学部とは別次元の難易度である。よって、○○大学合格と、○○大学医学部(医学科)合格は見る人から見れば全く意味合いが異なる。
東大で言えば、理科Ⅰ類でA判定でも理科Ⅲ類では普通にE判定になり得る。全合格者約3000人に対して理Ⅲ合格者は1/30の約100人。地方の県ともなれば、東大合格者は毎年数十人輩出するが、東大理Ⅲ合格者は数年に一人とかだったりする。18歳人口などを考慮すると、東大生は400人に1人くらいの割合でいるが、東大理Ⅲ生は10000人に1人くらいのレアキャラである。
年間わずか100人の非常に狭き門、東大理Ⅲこそが日本の受験の最高峰である。
教育法については後回しにすることにして、この最難関に4人の子供全員を合格させたという事実だけを見れば、佐藤ママはとてつもない偉業を成し遂げたといえるだろう。
最高点を見てもわかるように、理Ⅲに合格できる能力を持っていながらも他の学部を受ける学生も多数いるので、理Ⅲ合格者が上位100人というわけではないことは一応断っておく。
佐藤ママの教育論・受験論
さて、佐藤ママが大きく注目されることになったのは、息子3人理Ⅲ合格後に出版した書籍の他、講演・テレビなどで過激ともとれる教育論・受験論を展開したからである。
佐藤ママが行った教育を以下のようにとらえている人が多いように思う。
- 3歳までに1万冊の本を読み聞かせ、1万曲の音楽を聴かせた
- 子供部屋を作らず、リビングでずっと勉強
- テレビ・ゲーム禁止してずっと勉強
- 友達付き合い禁止してずっと勉強
- 手伝い禁止してずっと勉強
- 恋愛禁止してずっと勉強
- 大学受験まで母親が監視する中でずっと勉強
- 丸付けやファイリングは母親の役目、子供はとにかく問題を解くだけ
うわああああああああああああああああああああああああ
気が狂ううううううううううううううううううううううう
佐藤ママの教育論・受験論に対しての個人的見解
上を読んで、次のように思ったのではないだろうか。
「頭おかしい」「子供が可哀想」「自分の親は普通でよかった」「ひどすぎて涙が出る」「もはや虐待だ」と。
しかし、実際に書籍を読んでみると実態はかなり違っているように感じる。
その部分も含め、個人的見解を述べていくことにする。
「子供部屋を作らないこと」について
これは子供部屋があった自分の感覚では有り得ない。
ただし、有り得ないというのは一般論として子供部屋が必要だと思うということではなく、自分が子供ならば勘弁して欲しいということである。
一般論として子供部屋が必要かどうかというのは正直自分にはわからない。ある場合とない場合の双方にメリット・デメリットがあり、どちらがいいというものでもない気がする。
実際に様々な事情で子供部屋がない家庭も少数派ではあるだろうがそれなりには存在すると思うし、そのような家庭で育った子供達が何か特定の問題を抱えているとも思えない。
子供が多い大家族に限っていえば子供部屋がないことのほうがむしろ普通なのではないか。物理的に無理があるし。そもそも多兄弟が普通だった昔って子供部屋とかいう概念あったの?
もっとも、佐藤ママの場合は子供部屋を作らないことを産まれる前から決めていたということなので、仮に子供が一人だけだったとしても子供部屋は作らなかっただろう。
「恋愛禁止」「友達付き合い禁止」について
佐藤ママの主張の中でも特に「恋愛禁止」が象徴的に取り上げられることが多い。AKBグループではないが、そのインパクトが大きく話題にしやすいからであろう。
単に「恋愛禁止」とだけを聞くと、「人間としての自然な感情まで封殺するのか」「親が干渉するようなことではない」「人生には受験よりも恋愛のほうがよっぽど重要」などといった批判が出てくる。
ただ書籍を読む限り、どうも「恋愛禁止」というキーワードだけが一人歩きをしているというのが自分の認識である。メディアによるミスリードもあるかもしれない。
佐藤ママの主張は「わざわざ受験期に恋愛する必要はない」というものであるが、これを「子供の意思を無視して恋愛禁止を母親が強制すべきだ」ととらえるのは危険である。
佐藤ママの子供達は恋愛しなかったようであるが、それは母親に強制されたからというよりも、最終的には本人達が最大目標である東大理Ⅲ合格を目指す上でその方針は合理的で納得できるものだと判断したからこそであり、「恋愛したかったのに母親に禁止された・・・」とは違う。
また、体力的にもすでに母親を超えている男子高校生が納得もできない要求を突きつける母親に大人しく従うなどとは到底思えない。
そんなことをしようものなら、多くの人が危惧するように「うるせえ、クソババア!ぶっ殺すぞ!!!」となるのがオチだろう。
そもそも、普通の受験生は恋愛しているのだろうか。
自分の知る限り、多くの受験生はわざわざ禁止しなくても恋愛などしていない。ガッツリ恋愛しながら受験する学生のほうが少数派だろう。
大学合格を目指す多くの受験生は毎日学習に追われ、恋愛などする体力も気力も時間もないのが普通である。
中には一緒に東大合格したカップルなどもいたが、互いに高め合って一緒に同じ大学に合格というのはレアケースだろう。恋愛は不確定要素が多すぎる。様々なリスクを考えれば、多くの受験生が「今は恋愛しない方がよい」と考えるのは佐藤ママの子供でなくとも自然である。
地方では特にこの傾向が顕著になる。地方では1つの県に国公立大学は数校しかなく、大学進学が県外進出に等しい。よって、次のような未来が容易に予想できる。
男子&女子「一緒に頑張ろうね」
男子 「東京の大学受かった~」
女子 「地元の大学受かった~」
男子&女子「さようなら~~~」
ちなみに、長女は恋愛禁止とは言われてなかったが、どちらにしてもそんな気力などなかったそうである。
また、受験期に恋愛ばかりにうつつを抜かしていようものなら、「大学行く気がないのなら働いて」「それだったら学費出さない」などと言う親はどこにでもいるはずである。
結局、「恋愛禁止」などと面白おかしくはやし立てられているものの、大学受験生が恋愛せずに勉強するのはごく普通の一般的なことであり、多くの受験生が図らずとも体現しているのが現状である。
以上のような観点から、佐藤ママの「恋愛禁止」を特別に異常なものとは感じない。
「友達付き合い禁止」についても同じである。
佐藤ママの主張は「受験期には友達と遊んでいる場合ではない」というものであり、佐藤ママの子供達には普通に友達がいたし、友達の家に泊まりに行ったこともあったという。
また、佐藤ママが子供達の友達を選んだこともないし、犯罪のリスクでも感じない限りそんなことはすべきではないというのが主張である。
そもそも、佐藤ママの子供達に限らずとも、わざわざ禁止せずとも、受験期に友達と遊びに行っているような受験生は少ないし、そんなことをしようものならどの親も黙ってはいない。
「手伝い禁止」について
「手伝い禁止」とだけを聞くと、「自分一人で何もできない子供になる」「受験よりも大事なことがある」などといった批判が出てくる。
手伝い禁止ということで佐藤ママの子供達は手伝いしなかったようであるが、それでは普通の高校生は手伝いしているのだろうか。
自分の知る限り、多くの高校生は最初から手伝いなどしていないし、しようとすることもない。
「お腹がすいたので自分で御飯作りました!」「自分の部屋を掃除しました!」「おじいちゃんに庭の手入れ手伝ってと言われたので1日だけ手伝いました!」などというのは手伝いの内には入らない。
「お母さん大変そうだからこれからは家族の洗濯は全部自分がやるよ」なんて高校生もまれにいるのだろうが感動で涙が出る。
ましてや受験生ともなると、どこの親も子供に極力負担を掛けさせまいとするのが普通であり、全部自分のことは自分でという方針の親のほうが少数派だろう。
結局、「手伝い禁止」などと面白おかしくはやし立てられているものの、大学受験生が手伝いせずに勉強するのはごく普通の一般的なことであり、多くの受験生が図らずとも体現しているのが現状である。
以上のような観点から、佐藤ママの「手伝い禁止」を特別に異常なものとは感じない。
買い物してきてもらって、料理を作ってもらって、弁当を作ってもらって、掃除してもらって、学校まで送り迎えしてもらって、洗濯してもらって、ほとんどの受験生は非常にいいご身分なのである。
「テレビ・ゲーム禁止」について
「テレビ・ゲーム禁止」とだけを聞くと、「テレビで学ぶこともある」「娯楽も必要」といった批判が出てくる。
まず、佐藤ママは小学生の間は禁止したが、中高生のときは受験期を除いて禁止していないことを断っておく。子供達は普通にテレビを見たり、ゲームをしたりしていたという。
ここからは個人的な意見になるが、もしも一般論としてテレビが必要か不必要かどちらかだけを選べと言われたら、自分ならば不必要を選ぶ。
テレビやゲームで学ぶこともあるだろうが、人生において重要なものの中でそれらがなくては学べないものがあるとは思えない。昔はテレビもゲームもなかったし。
ちなみに自分はテレビが大好きで、アニメ・特撮・映画などで正義・友情・愛を学んだ様な気もするが、これらに出てくる正義・友情・愛はあまりに理想的である。実際には正義が勝つとは限らない現実世界との解離も大きく、今となっては裏切られたという気持ちのほうが大きい。
そもそも、普通の受験生はテレビを見たりゲームをしたりしているのだろうか。
自分の知る限り、多くの高校生の部屋にはテレビ自体がないし、本人も設置して欲しいなどとは思っていない。
つまり、わざわざ禁止せずとも多くの高校生はテレビに興味がないのである。せいぜい食事の時間にリビングで流されているのを見たりする程度である。
現代っ子にとってはスマートフォンがあればそれで十分。佐藤ママの子供達も普通にスマホを持っていたし、ごく普通の使い方をしていたようである。佐藤ママが中身を監視していたりということもない模様。
結局、「テレビ・ゲーム禁止」などと面白おかしくはやし立てられているものの、大学受験生がテレビを見ずにゲームをせずに勉強するのはごく普通の一般的なことであり、多くの受験生が図らずとも体現しているのが現状である。
以上のような観点から、佐藤ママの「テレビ・ゲーム禁止」を特別に異常なものとは感じない。
大学受験生の実態
佐藤ママの教育に対しては、「全部母親が管理していたら自主性が育たないのではないか」といった意見がよく聞かれる。
言わんとしていることはわかるが、個人的には実態とかけ離れた意見だと感じる。
多くの普通の高校生には自主性が育っているのだろうか。
自分が知る限り、最終的に大学進学を目指す高校生は以下のような高校生活を送っている良い子達であることがほとんどである。
「毎日遅刻せずにきちんと登校しています!」
「時間割り通りに授業を受けています!」
「放課後は部活で指示されたトレーニングを行っています!」
「その後は塾で勉強しています!」
「学校で出された宿題をしっかりとこなしています!」
「Amazonで人気No.1の参考書買いました!」
「疲れたので宿題の合間にLINEしています!」
「お小遣いで読みたい漫画買いました!」
「友達とカラオケに行ってきます!」
「夏休みに友達とディズニーランド行ってきます!」
「クラスメートに告白されたので付き合い始めました!」
「明確な目標はありませんが最低でも大学には行きたいです!」
このように、多くの高校生は学校・教師・親・社会に日常生活のほとんどを肉体的・精神的・時間的・経済的に管理されている状況にあり、自由にやっているように見えて実際には非常に狭い範囲で回っているに過ぎない。
はっきり言って、自分から見て多くの高校生の生活は書籍から読み取れる佐藤ママの子供達の生活と大差ない。佐藤ママの子供達も別に朝から晩までガリ勉していたわけではなく、部活や文化祭等の学校行事には積極的に参加していたし、特に幼少期はよく遊んでいたという。
大学受験する以上、皆目指すべきところもやるべきことも学校や塾で指定されることも本質的に同じである。皆と同じ授業を受け、皆と同じ問題集を解き、皆と同じセンター試験を受ける。先輩達が歩んだ道を同じように歩んで行く。その道から外れた者は落ちる。そういう風に問題が作られている。これが大学受験である。
ここに何か問題があるというのならば、佐藤ママの問題ではなく受験システムそのものの問題である。
書籍の中では、「丸付け、ファイリング、スケジュール管理、間違った部分のあぶり出しなどもすべて母親がやり、子供達は復習や問題を解くことのみに集中していた」ともある。
「そこまで母親がやるのか」という意見を持つ人もいるだろう。しかし、これについても大学受験生にはごく一般的に見られる光景である。
というのも、母親がやったというから少し奇異に感じるが、佐藤ママが家庭教師の役割を果たしていたと考えると全く不自然ではない。大概の大学受験生は塾に通っていたり家庭教師に指導を受けていたりしており、実際に同じようなことをやってもらっているはずである。「じゃあこれ先生が丸付けしておくからその間にこっちの問題解いておいてね」「ここの間違えた問題を一緒に確認しようか」「この問題集買って次までにここまでやっておいてね」などなど。多くの受験生にとって、ただ学校に通うだけで志望校に合格できるほど大学受験は甘くない。
親が監督・コーチとなり、親子二人三脚でオリンピックを目指しているアスリートは多い。佐藤ママが監督・コーチとなり、親子二人三脚で東大理Ⅲを目指しただけのことである。
高校生は自分で勉強できない
さらに言えば、「ただ本人に任せておけば自主性が育つ」などというのはあまりに幻想である。自主性を育てるには「監督者の一定の管理・関与の元で本人に任せる」ことが重要であり、何の管理もしていないのならば任せているのではなくむしろ放置である。そのような子供が自主的に何を始めるというのか。何もしないが答えである。
このあたり、「そもそも自主性とは何か」「どうやれば自主性が育つか」といった一般論を述べ出すとキリがないので、1つの具体例として多くの高校生の試験に対する姿勢を示そう。
大学受験を目指す場合に定期試験や模試で最も大事なのは、何点取れたかではなくできなかったところをあぶり出して見直しすることにある。
学校の先生が大変な思いをしてその分野で最も重要な部分を高価なソフトを使って丁寧にまとめて作った定期テスト問題、多くの高校生達は終了後どうしているだろうか。予備校が会社を挙げて過去問を研究し尽くして作った模試の問題を自己採点後どうしているだろうか。
「今回の期末の数学60点だったか~。ポイッ」
あるいは
「この前の進研マーク模試の問題どうした?」
「あれは捨てました。」
「え?捨てた?????えええええええええええ?」
監督する人がいなければ大半の高校生はこんなものである。試験結果や課題プリントなどをきちんと管理し、隅々まで丁寧に見直ししている高校生などほとんどいない。国家レベルで見るとこの教育的損失は想像を絶しているのではないかと時々考える。
これを「子供の自主性に任せています!」「自分の子供は何も言わなくても自分の意思で勉強しています!」などというのはあまりに滑稽である。
また、子供が自分は勉強していると思っていても、親から勉強しているように見えていても、教師から見ると勉強とはほど遠い状態にあることも少なくない。
「教科書の大事な部分にマーカーで線を引きました」(何の意味が?)
「小テストが終わったのでそのとき覚えた英単語忘れました」(意味ないじゃん)
「チャート式の問題を1ページ目から順番に解いています」(終わるの?)
「わからなかったので解答を丸写しして提出しました」(それ3年間続けるの?)
「公式忘れていたので試験で点が取れませんでした」(公式すら覚えずに試験受けたの?)
経験上、正しく勉強できている学生は圧倒的少数派である。東大レベルの学生であっても勉強法において失敗していることはいくらでもある。もちろん失敗を経験し、その反省を生かして正しい勉強法を探るのも大事である。しかし、自分で失敗に気付き修正できる学生はこれまた圧倒的少数派である。ほとんどの学生は、まさか自分のやっていることが(受験的には)ほぼ無意味であるなどと考えもせずに暴走している状態にある。
教師経験のある佐藤ママが「自分の子供にはそんな無駄なことはさせない。自分の管理の下でしっかりと見直しさせる」などと考えても不思議ではない。
もっとも、これは長年積み重ねてきた親子の信頼関係があってこそ可能になる。突然「今日から自分の管理の下で見直ししてもらうから」などと言い出そうものなら「ほっとけやクソババア!」となるのがオチである。佐藤ママの場合も、親が一方的に押しつけたわけではなく最終的には子供達が「自分一人だけだと甘さが出る。母親に一定の管理をしてもらうのは合理的だ。」と考えていたからこそうまくいったのだろう。
それでも「じゃあ一生母親に管理してもらうのか」という危惧はある。当然そういうわけにはいかない。やはり、かなり早い段階(小学生くらい?)から親がいつまで関わるかを子供に伝えておくべきである。個人的には大学受験のときが、親が子離れ、子供が親離れする絶好の機会である。「大学受験までは面倒見るけどその後は知らないから自分でやってね」と普段から言い続けておけば、子供としても準備ができる。
最後に
ぜ~んぜん語り足りないのだが、長くなったのでとりあえずこれくらいにする。
3人東大理Ⅲ合格ということで何か特別な教育法でもあるのかと思って書籍を読んでみたわけだが、その内容はまさに受験・子育ての王道であり、多くの関連書籍の内容と本質的に同じであった。
要は、勉強にしろスポーツにしろ芸術にしろ何かが抜群にできる子にしようと追求していけば、良いか悪いかは別として嫌でも同じ教育法に行き着くということである。リスクをできるだけ避け、No.1ではなく普通・平均を好む人には違和感を感じるかもしれないが。
某TV番組で体操の金メダリスト内村航平選手の母親と意気投合していたがそれも当然のこと。分野が違いこそすれ、互いに目指したものとやったことは同じなのであるから。子供を勉強のNo.1にしようとした教師の佐藤ママと体操のNo.1にしようとした体操選手の内村ママ。絵本400冊をまとめ買いした佐藤ママと1億円借金して体育館を作った内村ママ。常人の感覚では理解しがたい部分があるが、No.1を目指すということはそういうことである。
Amazonの評価も親・子供双方の立場から賛否両論といった感じか。
実はこの種の話はミクロな視点だけではなくマクロな視点で見てみるとまた違って見えるのだが、長くなるのでその話は別の記事にする。
個人的に佐藤ママが特別すごいと思ったのは、4人に対して飽きもせずに同等の教育をやり続けたことである。経験上、多くの親は第1子にはかなり力を入れて教育するが、第2子以降はそれなりに手を抜く(もちろん愛情をかけないということではない)。ある意味では天性の教育ママか。このあたり、母親というよりもプロの指導者だったんだなあと思える。
むしろ、子供達のほうが東大理Ⅲ合格という自身の目標のために母親を徹底的に利用し尽くしたと考えた方がしっくりくる。一番近くに惜しみなく協力してくれる教師がいるのだからそれを利用しない手はない。頭が良い人ならば皆これくらいのしたたかさや冷徹さを持っていることだろう。
あと「自主性を尊重しろ」とかいう人に限っていい医者になることとか東大生はこうあるべきだとか普通が一番幸せという価値観とかを押しつけようとするよね(´・ω・`)
どんな子育てするかも各親の好きにしたらいいじゃんね(´・ω・`)
佐藤ママの発言が話題になったときに次男がFacebookに載せたコメントも置いておく。
多くの人に心配していただいてるので投稿致しますが、母の発言はなんの資格も、社会的責任もない一個人の主婦のものですので、どうか皆さま暖かい目で見てやってください。
世間からはもちろん色々と言われておりますが、僕個人は今まで面倒を見てくれた母には感謝こそあれ、特に反感などはありません。
今までも何度も、僕ら子供からの意見が聞きたいとテレビや雑誌から取材の依頼が来ましたが、まだまだ自分たちは未熟者であり、ただ受験を受かっていると言うだけで、そのようなものに出るわけにはいかないと断って参りました。
受験に受かるための努力は勿論致しましたが、それだけであり、自分たちはまだ何も成し遂げておりません。これから先もっと精進して、自分の功績を打ち立てた時こそ、また注目していただけるよう努力していきたいと思います。
客観的に見て、子供三人が灘から東大の医学部に進むのはすごいことだと思います。そしてそのために母が色々と骨を折ってくれたことは疑いようがありません。母の発言すべてが正しいわけでも、すべてが事実通りなわけでも勿論ございませんが、一部いらっしゃる、母の子育てに興味のあるお母様方へ、母の本や言葉が役立ちますことを祈っております。
母は子供が好きでたまらないという人です。つまるところ子供自慢が行き過ぎてしまったようです。
子供自慢は親なら誰しも当たり前でしょうが、自慢は行き過ぎると嫌味になりかねません。
今回の発言で不快な思いをされた方には大変申し訳なく思います。母自身はネットやSNSなどには疎く、今回の発言が話題になっていることも知らなかったそうです。
どうか母子共々今後ともご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い致します。
話題になったお陰様で本の売り上げは好調だそうです(^-^)/
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おまけ①
長女の合格発表の写真が帯になるのはやw
おまけ②
3歳までに1万冊読み聞かせたという佐藤ママに触発されて佐藤ママの本を読み聞かせている母親がいるらしいw