2013osaka-formula

大阪大受験生 「各公式および頻出パターンは完璧に暗記し、難しい問題集も過去問もすべてやった。どんな問題が出ても大丈夫だ。」

大阪大教授  「基本公式の証明も当然できるよね?大丈夫だとは思うけど一応確認させてね。」

効率を重視しすぎて本質を見失っていた受験生 「し、しまったあああああああああああああああああ」

数学という学問に対して真摯に向き合ってきた受験生 「ラッキー♪サービス問題きたー」

 
問題用紙を開いた瞬間、受験生は気付いた。自身が数学という学問に対して真摯に向き合ってきていなかったことに。すべては見透かされていたのだ。「自分は今まで何をやっていたんだ・・・」「こんな問題すら解けないなんて・・・」等という思いが頭の中を駆け巡る。

第1問は後回しにして、とりあえず他の問題に手をつける。しかし、どうしても第1問が頭にちらついて離れない。「lim[x→0]sinx/xの証明証明証明証明・・・・・・・」。今までに積み重ねてきた自身の受験勉強を根底から否定されて激しい動揺に見舞われた受験生は、半べそをかきながら残りの問題を解くことになる。

もちろん、合格は総合点で決まるのであるから、1問できなかっただけで完全に悲観的になる必要はない。しかし、これは普通の問題ではない。本来であればできて当然の問題である。さもなくば、今まで証明もできない公式をむやみやたらに使い回していたことになる。本問ができなかった受験生は、仮に他の問題が解けたとしても、ある種の敗北感と共に試験会場を後にすることになったであろう。

 
普段当たり前のように使っている基本公式の証明が、毎年どこかの大学で出題されている。

しかし、難関大学で出題されるとそのインパクトは大きい。また、この種の問題は往々にして受験生の出来が悪いという。1999年の東大と同じく、第1問目でこの問題をみて「やられた」と唇をかんだ受験生も少なくなかっただろう。

この種の問題が出来ないほど悔しいことはない。1回は答えを見たことがあるはずなのだから。「ちゃんと教科書を読んでいれば・・・」と後悔しても後の祭りである。「絶対に一度は見てるはずなんだ・・・思い出せ思い出せ・・・そうだ・・・教科書のあそこらへんだ・・・」などと念じてみるものの、証明が思い出されようはずもない。それでも「何か書いておかなければ」と考えてあることないことを適当に殴り書きをしている受験生の様子が想像される。

文系の「点と直線の距離公式の証明」は、結局は「公式を知らないものとして距離を求めよ」ということだが、普通に考えるとやはり図形と方程式の知識で求めることになり、場合分けも必要で文系にとっては結構骨が折れる問題である。ベクトル・三角比・平面図形などを用いるとより簡単に示せたりもするが、そこまでこの公式を深めている学生は少ないだろうし、ぶっつけ本番の不確実な見通しの中で別の解法を試してみる勇気がそう簡単に出るとも思えない。

理系の「sinx/xの極限の証明」は方法を暗記していないと難しい。三角形と扇形の面積の大小比較からはさみうちの原理を用いる方法は循環論法ではないかとよく話題になるが、教科書にも書いてあるし高校範囲ではそうするより仕方がない。導関数の定義を用いる(sinx)’=cosxの証明はまだやりやすかったかもしれない。