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同種の問題は毎年どこかの大学で出題されるが、わざわざ問題文の中でフェルマーの最終定理に言及しているところがおもしろい。この前置きは問題を解く上で何の必要もない無駄な記述である。それをわざわざ書くということは、問題作成者にとって何かこだわりがあったのだろうか。あるいは、「数学では成り立つことが確定している命題を成り立たないと仮定した場合に何が起こるかを追求することが可能である」ことを示唆しようとしているのだろうか。実際、このフェルマーの最終定理が証明される過程において、「もし整数解が存在するとしたら解はどんなものなのか」を追求することで大きな進展があった。これにちなんだ出題なのかもしれない。

指数部分が2、つまり三平方の定理の形x2+y2=z2の場合は、全て3の倍数と仮定し整数を3で割った余りで分類して両辺の余りの不一致によって矛盾を導く(背理法)ことで証明するという整数分野の基本問題である。この問題(3乗)の場合、結局9で割った余りで分類することで同様に証明できる。解答は簡潔に示しておく。

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伝説の数学者フェルマーの遺言と数学者の初期の試み

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x2+y2=z2を満たす自然数(x, y, z)の組は(3, 4, 5)など無数に存在することが知られている。ところが、フェルマーは指数を3以上にするとそれを満たす自然数(x, y, z)の組が1つも存在しなくなってしまうというのである。17世紀、フェルマーは「この定理に関して私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。」と書き残して亡くなった。フェルマーが残した多くの予想は後の数学者によって1つずつ解決されていった。しかし、この予想だけは解決されないまま残った。そのため、この予想は「フェルマーの最終予想」と呼ばれるようになった。

長い間、特殊なnについての場合を個別に証明しようとする試みが続いた。元々、例えばn=3のときが証明されれば3の倍数のときが証明されたことになるので、結局はn=4の場合とn=素数の場合を証明すればよいのである。特定のnのときに証明されるなど少しずつは進展したが、根本的な解決がなされないまま300年という時が流れた。その間、無数の数学者が中学生でも理解できるこの命題の魔力に惹かれ挑戦したが、全員が敗れ去っていったのである。

 

証明の必要性

フェルマー予想については20世紀までに、膨大な計算が必要ではあるが理論上は個別のnの場合を1つずつ処理できることが示されていた。そこにコンピュータが登場し小さいnの場合から次々に確認することが可能になった。1950年頃にはn=500まで証明され、その後n=400万までが証明された。しかし、素数は無限にある。仮にコンピュータを用いてあるnまでの場合を全て証明したところで無限のnについて証明されることは永遠にないのである。証明のない予想がどれほど危ういものなのかを示す例をいくつか挙げよう。

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この数列は一見するとずっと素数が続くようにも思えるが、実際に確かめてみると8番目で素数ではないものが出現する。

他にも見てみよう。18世紀最大の数学者オイラー(スイス)は、フェルマー予想をさらに拡張した次の方程式には自然数解がないと予想した(オイラー予想)。

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この予想は200年の間証明もされず反例も見つからなかった。さらにコンピュータが数年がかりで調べても見つからなかったので、正しい予想であると考えられるようになっていたが、1988年になって次の解が発見され、オイラー予想は否定的に解決された。しかも、無数の解があることまでが証明された。

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次の例には恐怖すら覚える。18世紀末、当時15歳だったガウス(19世紀最大の数学者;ドイツ)は、素数の分布を予想する式を与えた。この式はかなり正確だったが、常に実際よりもわずかに多めの値が得られた。1兆まで調べても常に多かったので、数学者はこの傾向が無限に続くと考えていたが、1955年にスキューズ(南アフリカ)が下に示した数(スキューズ数と呼ばれる)の少し手前で予想を下回ることを示した。これは想像を絶する大きさの数であり、宇宙に存在する全素粒子数1088<10102をもってしても比較対象にすらならない。当時は「数学的意味を持つ最大の数」であった。現在はグラハム数のように10進法では記述することすら出来ないほど巨大な数が考察対象となっているようである。

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これらの例でわかるように、どんな大きな値まで調べたとしても、証明がない限りは予想はあくまでも予想にすぎないのである。




ゲーデルの「不完全性定理」

証明に関しては、もう1つ面白い話がある。1931年、数学者クルト・ゲーデルが示した不完全性定理は数学者達に大きな衝撃を与えた。数学者達は「数学体系は一切の矛盾がない完全なものであり、いかなる命題も真偽が判断できる」ことを当然のように信じて疑っていなかった。しかし、ゲーデルは「数学が完全ではなく、数学的に証明も反証も出来ない命題が存在する」ことを数学的に証明してしまったのである。これは有名な嘘つきのパラドックス「私は嘘つきだ」を焼き直した次の命題でたとえられる。

「この命題は証明できない」

 
もしこの命題が偽だとすると証明できることになるが、証明できないというこの命題自身に矛盾する。また、真だとすると命題自身が述べるように証明できないことになる。ゲーデルはこの命題を定式化することで真であっても証明不可能な問題が存在することを示した。フェルマー予想に取り組んでいて不完全性定理を知った数学者達が「もしかしたらフェルマー予想はそもそも証明不可能なのかもしれない」と考え始めたとしても何ら不思議なことではないだろう。

 

谷山=志村予想からアンドリュー・ワイルズ(イギリス)による最終証明まで

1955年、谷山豊と志村五郎は「全ての楕円曲線はモジュラーである」と予想した。楕円曲線とモジュラーは全く別分野の概念であるが、それが同種のものだというとてつもない予想である。これを「谷山=志村予想」という。発表当初は全く信用されなかったが、志村が積み上げた証拠のおかげで広く信じられていった。現代数学において計り知れない重要さを持つ予想であり、谷山=志村予想の証明が数学界の最大の目標の1つとなった。証明はされていなかったにもかかわらず、谷山=志村予想が正しいという仮定のもと20年間で数百の論文が発表された。もし、谷山=志村予想が間違っていた場合それらの論文は全てゴミとなる。数学者達は、誰かが証明し土台を確固たるものにしてくれることを渇望していた。

1984年、ゲルハルト・フライ(ドイツ)はフェルマー予想がもし間違っていたら、つまりもし仮に解を持つとしたらどうなるのかと考え仮想的な解を代入していった。するとモジュラーではない異常な楕円曲線が現れた。これは谷山=志村予想に反することになる。つまり、「フェルマー予想が偽ならば、谷山=志村予想も偽である」ことを意味する。これを逆に考えると、「谷山=志村予想が真ならば、フェルマー予想も真である」となる。この瞬間、フェルマー予想の証明は谷山=志村予想の証明に移り代わったのである。

ワイルズは10歳の時にフェルマー予想を知り、自分が証明することを夢見て数学者になった。子供の頃の夢は封印して現代数学の主流である楕円曲線を研究をしていたが、自分の専門分野である楕円曲線がフェルマー予想と結びついたことで、全ての研究を止め谷山=志村予想の証明に自分の人生を賭けることにした。その後7年間自宅の屋根裏部屋にこもり、フェルマー予想の証明に没頭した。

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予想から350年以上経過した1995年、ついに最終決着がなされた。ワイルズがフェルマーの最終予想を完全に証明したのである。フェルマーの最終予想はもはや予想ではなくなり、フェルマーの最終定理となった。後にアメリカ数学界がこの完全証明に重要な役割を担った十数名の功労者を挙げたが、その中の6人が日本人であった。

 
この350年間の数学史上のスペクタクルロマンが フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで/サイモン・シン/2000年 の中で恐ろしいほど詳細に描かれている。この項の記述はこの書籍を参考にしたものである。他に、フェルマーの最終定理(Wikipedia)やいくつかのサイトを参考にした。

整数に関する入試問題に関しては次の書籍も興味深い。大学入試問題で語る数論の世界―素数、完全数からゼータ関数まで/清水健一/2011年 では、大学入試の過去問を元にしてその背景に広がる整数論を高校生でも理解できるように紹介していて、その中にはこの問題も含まれる。ほんの少し問題を拡張するだけで大学入試レベルの問題が一気に現在でも未解決となっている超難問と化けたりする数論の真のおもしろさや怖さは足を踏み入れた者にしかわからないのかもしれないが、その一端は感じることができるだろう。