当ページでは、進路で親や教師と衝突して悩んでいる学生のために経験を元に個人的な意見を述べていく。

なお、「どうすべき?」とタイトルで言っているものの、どうすべきかという結論を出す記事ではないことをあらかじめ断っておく。参考になるかどうかはわからないが、単に個人的な意見を述べるだけである。

親や教師の経験値は学生の100倍

さて、第一にわかってもらいたいは、親や教師の経験値は学生とは比べものにならないほど多いということである。

学生の経験値を10とすると親や教師の経験値は1000だ。仕事の経験、子育ての経験、どんなに優秀な学生であっても人生経験においては数十年長く生きてきた大人には到底及ばない。高校生と赤ん坊を比較するようなものである。10年、20年長く生きているということはそういうことである。年数がいかに圧倒的なものであるかが想像できるだろう。

経験を積んできた大人の発言はそれだけ重いのである。ほとんど経験値のない学生がどれだけ「自分はこの道を行く。必死に頑張る」などといきがったとしても、大人に「考えが甘い」「将来どうするんだ」「何の役に立つんだ」などと突っぱねられるのは当然といえば当然である。

ここまでが前提となる一般論である。

実は大人の経験値も大したことはない

では、自分の経験に基づき個人的な考えを述べていこう。

大人は多くのことを経験してきている。それは学生の比ではない。しかし、人間の時間には限りがあるから、何でもかんでも経験できるわけではない。

そう、大人の経験がいかに多いとはいっても、それは学生と比較した相対的な経験量であって絶対的な経験量ではない。大人一人の経験値が1000だろうが10000だろうが、人類全体の経験量100000000000000くらい?からするとカスみたいなものである。

あえてはっきり言おう。もし、親や教師と違う道を進もうとしているならば、その大人の経験や発言は全くと言っていいほど当てにならない。

医師を目指すといえば賞賛し、Youtuberを目指すというと猛反対する。医師でもYoutuberでもない大人がである。

イメージや、何となくそんな気がするというだけで賛成・反対しているのであり、適当の極みである。何の経験もないのに。あるいは、一部の成功者や失敗者だけを見ているのかもしれない。

他学部・学科とは別次元の難易度の医学部に必死の思いで合格しても1割は卒業する前にいなくなる。自身の性格や能力的に医学の道が無理だと悟るのだろうか。

もっといえば、例えば同じ教師であっても、数学か国語かでは別物である。同じ数学であっても、学校の教師か塾の教師かでは別物である。もちろん、全てが全て当てにならないわけではなく参考になることも多いだろうが、少しでも違うとあまり当てにできないというのが個人的な経験である。さらにいえば、同じ学校の数学教師であっても、時代が違えばあまり当てにできなくなる。以前の常識が今も通用するとは限らないのである。

日々凄まじい速度で科学が進歩し、あらゆることがどんどん変動する現代において、10年20年先のことなど誰も何もわからない。日本国が存続しているかどうかすら断定できない。

結局どうすべきなの?

以上を踏まえてどうすべきかということになるが、それは各個人が自身が置かれている状況を理解した上で最終的には自分で決断する以外にない。

大人の意見をそのまま受け入れる決断するのも自分、反対を押し切って自分の意見を貫き通す決断するのもまた自分である。

親や教師は学生のためを思って反対しているのだろうが、卒業後は教師とは実質無関係であるし、親は先に死ぬ。自分の人生に責任を持てるのは結局は自分だけである。

もし大人の反対を押し切ってということであれば、相応の覚悟と説得力が必要になる。大人はどうしても多くの経験を積んできたプライドや自信があるから、容易には賛成しない。ちなみに、高学歴芸人のオリエンタルラジオ中田敦彦氏(慶応大学経済学部)は芸人になることを親に猛反対されたが、自身の考えや芸人として成功できなかった場合に普通に就職する旨を書いた小論文を提出して納得してもらったという。

一度きりの人生、よく考えて後悔しない選択をすることをお勧めする。

管理人はどうせ先のことは誰もわからないので自分のやりたいことをやりたいようにやることにした。そして今このサイトがある。相応の覚悟をもってやっているので、誰に何を反対・批判されようが知ったことではない。

管理人の人生観

管理人がそれだけの覚悟をもてたのは、今までの経験からして「人生は8割方運」と感じているからである。

まず、どこの国のどの地域に生まれるか、どの時代に生まれるか、どんなルックスや健康状態で生まれるか、どんな両親のもとに生まれるか、どんな人と出会うか、これらで人生の方向性の大半が決まってしまう。個人の努力の余地などほんのわずかである。

努力して難関大学に合格できたと思っている学生も多いだろう。しかし、最終的に難関大学に合格できたのは、人間の脳が最も発達する幼少期に適切に教育していい脳を作ってくれていた親や大人がいたからこそである。ある脳科学者は東大に現役合格できるかどうかは6歳までに決まるといっていたが、その通りだと思う。

難関大学に合格できたとしても、人生一寸先は闇である。実際、自分が把握しているだけで小学校から大学までの同級生のうちすでに四人が亡くなり、そのうち二人は高校卒業直後の交通事故死である。このうち一人の両親は、学費にする予定だった150万円を合格した大学に寄付したという。死のまさに直前までこの後自分が死ぬとは夢にも思っていなかっただろう。さらに、スポーツ中の事故で全身不随になった同級生も一人いる。

自動車事故であれスポーツ中の事故であれ不慮の事故であれ、どんなに注意していても一定確率で必ず事故は起こる。

日本では、自動車事故で毎年数千人が死ぬ。1日当たり100人以上である。昨日も100人死んだ。今日も明日も100人死ぬ。自宅に引きこもってでもいない限り、それが自分でないという保証などどこにもない。

事故だけではない。突然命に関わる病気になるかもしれないし、事件に巻き込まれるかもしれない。

運命というほかない。何事もなく普通に過ごして生きれた1日、それはたまたま運がよかっただけ。

こんな不条理ともいえる現実世界に気付いていたからこそ、容易に自分の道を行く覚悟がもてたというわけである。